「前向き」ってそんなに良いこと?
学生さんと話していると、「前向き」という言葉がよく使われることに気付かされます。「つらいことがあったけど、いつまでもくよくよしないで、目標を持って前向きに生きていこうと思います」という感じで使われることが多いですね。でも僕は個人的にはこの「前向き」という言葉にちょっと違和感があります。あまりにも「前向き」という言葉が多用され過ぎているのではないか、あまりにもこの言葉に価値を置きすぎているのではないか、そんな感じがするのです。もちろん過去にいつまでもこだわり、夢も持たずにだらだら生きるのが良いというわけではありません。「前向き」であることそのものが問題なのではありません。この言葉だけがあまりにも強調される時、何か大切なものが忘れられてしまっているのではないかという気がするのです。
喪失をきちんと悲しむことの大切さ
では大切なものとは何か?それは「喪失をきちんと悲しむこと」ではないかと思います。この場合、「喪失」とは自分自身にとって重要な対象を失うことを指します。例えば、家族や友達が亡くなる、あるいは恋人と別れることなどが代表例でしょう。また「教師になる」という夢を失うことも喪失の一つです。さらに誰もが若さを失っていきます。人生にはその他にも色々な喪失があります。「生きていくことは失っていくことだ」と言ってしまっては、あまりにも「後向き」でしょうか?
しかし、僕が強調したいのは、このように人生の様々な場面で出会う喪失を「きちんと悲しむこと」ができて初めて人は前向きになれるということです。葬式では家族や親戚や友人が集まってみんなで泣き、故人の思い出を語らいますね。葬式は「きちんと悲しむ」ための人類の知恵なのです。だからこそ人生で出会うたくさんの喪失にもかかわらず、人は前向きに生きていけるのです。
うつ病と喪失との関連
うつ病の人の話を聞いていると、ほとんどの場合発症前に何らかの喪失が関わっています。何らかの理由で喪失を悲しむことができないと、それがうつにつながるのです。悲しみをこらえて無理に「前向き」になろうとする人はどこかでダウンします。うつから立ち直るには信頼できる人に話を聞いてもらい、悲しみを体験し直すことが重要です。そうすると、気分の落ち込みは軽くなっていきます。カウンセリングの役割はうつ病の人がきちんと悲しむための時間と場所を提供することだと言っても良いでしょう。きちんと悲しむ機会を取り戻そう
「前向き」という言葉が強調される陰で、悲しむことの大切さは今どこか否認されているのではないでしょうか。科学の進歩のおかげで、今では歳をとっても若々しくきれいな方が多いですし、難病の治療も日進月歩です。それは素晴らしいことですが、そうした環境は「喪失をきちんと悲しむ」機会を人々から奪っているのだとも言えます。最近、誰かが死んでしまう泣ける映画やドラマが人気ですよね。そういう作品が求められるのは、日常生活で泣いたり悲しんだりできなくなっているからかもしれません。みなさんにはつらい喪失に直面した時に、悲しみを受け止めてくれる人を卒業までに見つけてほしいと思います。また友達が悲しんでいる時は、早く立ち直ることを求めないでただ見守ってあげて下さい。それこそが本当に「前向き」になるために必要なのです。
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保健管理センターカウンセラー 三上謙一
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